ひな祭りの由来を子供にもわかりやすく。実は女の子の祝いではなかった!!

雑学

366880ひな祭り由来は実のところ男女区別なく大人の行事として行われていました。女の子の日になったのは江戸時代になってから、意外な真実ですよね。そこで今回はそんな由来を子供にもわかりやすく紹介します。

子供用にわかりやすく解説

(子供に語りかける設定です)
ひな祭りはね、大昔の中国で始まったんだよ。

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昔の人は季節の変わり目には運が悪くなると考えていたんだ。

 

だから季節の変わり目に運が悪くならないようにするために、川で体をきれいにしたり盃(コップみたいのを)を川に流してたんだ。

 

そうすると、運が悪くならないと考えていたんだ。

 

そして、それが日本に伝わってきたんだけど、日本では川に人形を流していたんだ。

 

でも、貴族の女の子はきれいな人形で遊んでいたから、昔はそのきれいな人形を川に流していたんだ。

 

でもきれいな人形を川に流すのはもったいないよね。

 

だから、川に流すのをやめて、きれいに飾って女の子の代わりに運が悪くなってもらうようにしたんだ。

 

簡単にいうと人形に身代わりになってくれるように頼むようになったんだよ。

 

だから、お雛様は君の分身なんだからかわいがらないといけないんだよ。

 

これくらい説明できればいいと思います。

 

こどもに由来を聞かれたら、『お雛様は女の子の運をよくするために飾るようになったんだよ』程度でいいと思います。

 

もっと、「何で?」って聞かれて困らないように大人用に詳しくお話します。

ひな祭りの由来は古代中国

ひな祭りの由来は古代の中国です。

 

このころの中国では季節の変わり目には良くないことが(災い)がよく起ると考えられていました。

 

そこで、古代中国人は川辺で身を清めたり(禊(みそぎ))、盃を流したりして、自分の身から災いを川に流していました。

※盃を流し自分のところに流れ着くまでに詩歌を詠むという儀式をしていました。

これを「曲水の宴(きょくすいのうたげ)」といいます。

 

このころは女の子が特別行うものではなく、極々当たり前に男女の区別なく行われていました。

日本に伝わる

これが遣唐使によって日本に伝えられました。

 

もっとも当時は世間の人が行う行事では天皇陛下の災いを祓うための神事として行われていました。

 

それが、平安時代になると、宮中行事(貴族の行うもの)として行われるようになりました。

 

宮中行事では中国と同じように川に盃を流し自分のところまで来る間に詩歌を詠む「曲水の宴」を行う一方で、「人形(ひとがた)」というものを草や木、紙などで作り、そこに自分の穢れ(災いを)撫でたりして移して川などに流していました。

 

いわゆる代わり身というやつです。そしてこの儀式も女の子のためではなく男も女もすべての人のために行われていました。

豆知識
現在でも「流し雛」というものが行われていますよ。

平安時代に2つの人形

平安時代にはもう一つの人形が存在していました。

 

それは人形(にんぎょう)です。

 

同じ漢字を使いますが、読みと意味が異なります。

 

『人形(にんぎょう)』は当時の貴族の女の子が遊んでいたきれいなお人形(にんぎょう)のことをいいます。

 

これは「ひいな遊び」といわれ、今で言う「人形遊び」の道具となりました。

 

お雛様の原型といえます。

 

『人形(ひとがた)』は川に流すので非常に粗末にできていました。

 

一方で人形(にんぎょう)は綺麗にできており、時を越えるごとに美しくなっていったので(人形を作る技術が上がった)次第に、飾るものになっていきました。

 

このときに同じ人形を使っているので、人形(ひとがた)を川に流すものから、災い(厄)を受ける飾り人形として「雛人形」へと変化していきました。

江戸幕府によって女の子の祝いの日に決まる

ひな祭りは「上巳の節句(桃の節句)」に行われてきました。それは今と同じ3月3日です。

 

しかし、それまでは、けっして女の子だけの祝いの日ではありませんでした。

 

けれども、江戸幕府により「上巳の節句(桃の節句)」と「端午の節句」が重要な節句として決められました。

 

しかも、「端午の節句」が男の子の祝いの日となったことから、「上巳の節句(桃の節句)」が女の子の祝いの日として正式に日本で認識されるようになりました。

豆知識
「上巳の節句」は桃の開花時期であることと、もともと災いを祓う儀式でしたから、桃にあるという邪気を祓うという効能にあやかって「桃の節句」という呼ばれ方をしています。

甘酒と白酒の意味・違い

管理人は甘酒と白酒は同じものだと思い込んでいました。

 

同じように思い込んでいる人は意外に多いのではないでしょうか?

 

あなたはその違いをいえますか?

 

けっこう違いますから、さぁ考えてみてください!!

 

実はアルコールの量・作りかた・材料・熟成過程が違います。

詳しく

アルコールの量

まず、「甘酒」はアルコールをほとんど含みません。

 

微量ながらアルコールを含んでいるということです

 

しかし、微量ですからお子さんに飲ましても問題はありません。

 

甘くてお子さんが何杯も飲もうとした場合には微量ですがアルコールが含まれているのであまり飲ませないようにしてくださいね。

 

一方、「白酒」のアルコール量は9パーセント前後で酒税法ではリキュール類に該当します。

 

ですからお子さんには白酒はけっして飲ませてはいけません。こっちを子供に飲ませた場合には法律違反ですからね。

作りかた・材料・熟成過程

「甘酒」は、ご飯やおかゆなどに米こうじを混ぜて保温し、米のデンプ ンを糖化させたものを一晩寝かせて作ることから一夜酒(ひとよざけ)と呼ばれていました。

 

一方「白酒」は、みりんや焼酎などに蒸したもち米や米こうじを仕込み、1ヶ月程度熟成させたもろみを、軽くすりつぶして造った酒のこといいます。作る際に1ヶ月もかかるんです完全なお酒ですよね。

現在では

現在では甘酒と白酒は同じものであると認識されている場合が多いですが、その位置づけは、甘酒が子供やお酒が飲めない方用で白酒が大人用というべきでしょう。厳密に両者を使い分ける人はかなり浮いてしまいそうですけど?

 

例)「甘酒いる人~」「いや、白酒だよ~って人いますか?」←「違いわかんねぇよ」ってね。

白酒甘酒の由来は桃花酒

今では白酒甘酒が飲まれていますが江戸時代になるまでは、「桃花酒」というものが飲まれていました。

 

「桃花酒」は桃の花びらをお酒に浸して飲むというものです。

 

ではなぜ「桃花酒」が飲まれていたのでしょうか?

 

その理由はひな祭りが桃の節句にあることから少しだけヒントがあります。

 

つまり、桃は百歳(ももとせ)に通じるということで、長生きに通じているという意味があったのです。

 

それにあやかり、桃の花をお酒に浸して飲むようになったのです。

 

さらにそれに加えて桃は邪気を祓ったり、気力や体力の回復にも利くとされていて、薬としての面もあったようです。

白酒を飲むようになった由来

その由来は江戸時代中期になります。

 

下に引用していますが、豊島屋十右衛門の夢枕に、お雛様が立って、白酒の作り方を伝授し、白酒を作り売ったところ、それがとてもおいしかったので、江戸以外の地域からも桃の節句の時期には大変多くの人が買い求めに来たことにより、白酒が全国に広まり白酒を飲むようになったようです。

 

それにしてもお姫様って昔は何にもしなくていいようなイメージですけど、どこでお酒の作り方を学んだのかな?あの世ではいろんな知識を学んだり編み出したりできるんでしょうかね。こういう話って良く聞きますよね。

豊島屋にまつわる逸話

白酒誕生秘話

ある夜、豊島屋十右衛門の夢枕に、紙雛様が立って、白酒の作り方を伝授しました。十右衛門が、その通りに作りますと美味しい白酒が出来たとされました。
十右衛門は、桃の節句の前に売り出しました。すると、その美味しさが大いに江戸中の評判になり、「山なれば富士、白酒なれば豊島屋」と詠われるまでになりました。

(引用:http://www.toshimaya.co.jp/brand/)

最後に

どうでしたか、ひな祭りは最初女の子の日ではなかったんですね。しかも、日本では天皇陛下のためだけのために神事として行われていたなんてほんとにおどろきでしたね。


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