母の日の由来日本版とカーネーションの色についてわかりやすく簡単に

雑学

母の日由来日本以外各国に存在していることを皆さんはご存知ですか?そこで今回は日本においての母の日の由来を中心にカーネーション意味をわかりやすく紹介しました実は白色と黄色いカーネーションは絶対送ってはダメなんですよ。

日本の母の日(現在)

370613

日本の母の日は現在5月の第2日曜日となっています。年によっては前年と1週間以上も日にちが違うこともあります。

 

 

ですから、「今年の母の日は何日だっけ?」という疑問を持つたことがほとんどの人にあると思います。かくいう管理人も毎年いつだっけと思っている気がします。

 

日本版母の日の由来をわかりやすく

簡単にいうと、かつて、日本はアメリカで行われている「母の日」をならって、1931年(香淳)皇后様の誕生日である3月6日を母の日にしました。

 

戦後になって、本格的にアメリカの5月の第2日曜日が「母の日」というのを取り入れて、今日ある国民的行事になっていきました。

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もう少し詳しく

それではもう少し詳しく見てきましょう。

 

母の日にカーネーションを送る由来意味(アメリカでの話し)

アメリカに、アンナ・ジャービスという女性がいました。彼女のお母さんが1905年に5月9日(これが5月の第2日曜日でした。)に亡くなられたのです。アンナの母親は教師をしていたのですが、聖書の講義の後にこんなこと言っていました。

 

 

「いつか、誰かが自分たちの母親の無償の愛を祝う日を作ってくれることを期待しています。」そこで、アンナは母のこの言葉どおり「母の日」を作ることを決意し、行動を開始しました。

 

 

アンナは母の死から2年後である1907年の母の命日に母の追悼式を教会でを行いました。そのときに教会の追悼式に参加してくれた参加者全員に白いカーネーションを送りました。(これが、母の日にカーネーションを贈る由来になります。)

 

 

 

それから、アンナは数々の有力者に手紙を送るなど活動を続け、45の州で「母の日」が祝われるようになりました。そして、とうとう、当時の大統領であるウィルソンが1914年に国民の祝日として「母の日」を制定するまでになりました。

 

日本での話し

日本にはアメリカでの「母の日」制定から1年後の1915年に青山学院の教授であった、アレキサンダー女史によって日本に紹介されたといわれています。当時は主に教会関係団体でのみお祝い行事として徐々に日本人に浸透していきました。

 

 

もっとも、日本にはキリスト教徒が多くは無かったのですぐさま多くの国民に認知されるようにはなりませんでした。
1931年(昭和6年)には大日本連合婦人会というものが結成されます。これをきっかけにして皇后(香淳皇后)の誕生日である3月6日が「母の日」と決まりました。この当時はアメリカと同じ5月の第2日曜日を「母の日」とするとはしませんでした。

 

 

おそらく、国民の母とは当時の感覚では尊い皇后様という認識の下に日本人に受け入れやすいように日本式で決めたのだと思います。そして、1937年(昭和12年)に森永製菓が、「森永母を讃(たた)える会」を設立し、母の日をアピールして広めました。

 

 

それからしばらくして,第2次世界大戦後1947年(昭和22年)になるとアメリカの影響を強く受けて、ここでやっと母の日が5月の第2日曜日になりました。

白と黄色のカーネーションは送っちゃだめ!!

上記の説明では、アンナは参列者に「白いカーネーションを送って」います。しかし、白いカーネーションには亡くなった母への追悼の意味を暗に意味していますので生きているお母さんには送らないようにしてください。

 

ちなみに黄色は美しいですけど、軽蔑の意味がありますので絶対送ってはダメです。

 

豆知識:カーネーションの色の意味

白色  :「純粋な愛」 「私の愛は生きています」

赤色  :「母への愛」

ピンク色:「熱愛」 「女性の愛」

黄色  :「軽蔑」

紫色  :「誇り」 「気品」

最後に

いかがでしたか、今年の母の日にはやはり、シンプルに母への愛つまり赤色のカーネーションを送るのがいいんじゃないでしょうか。黄色はなにも知らなければ送ってしまう可能性がありますがこれで、そんな心配もうありませんよね。


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